「モノが届かない」のは2024年問題が原因なのか問題

2024年問題

巷で2024年問題が取りざたされていますが運送業の中の人間からするとちょっと白熱しすぎだし論点がずれすぎている気がしています。

そもそも2024年問題がよく報道されるようになったと感じるのは「野村総合研究所」が出した数字が出た後。

我々業界の中では「2024年問題どうする?」という話題がずっとありましたが特段世にその話題が出ることはなかったのです。

しかし、運送業以外の人たちが出した数字が出た瞬間、報道が過熱しました。

そして「モノが届かない」という議論になっています。

各メディア(テレビ・ネット)媒体は「このままでは荷物が届きません」と煽るニュースが増えました。

私はその報道を見るたびに冷めます。

何を言うとるんだ、と。

結論から言います。

「モノが届かない」ことはありません。しっかり対価をいただければ「モノは届きます」

なぜこういう報道になっているのか。

それには理由があると思います。

まず1つ目。

消費者を巻き込んで業界以外の人がこの問題を「自分事」として捉えてもらうため。

そしてもう1つ。

記事を読んで(見て)もらうために強烈なタイトルにしただけ。

だと思っています。

なので安心してください。このままの状態でいけば

(今まで通り)モノが届かない

だけです。

「このままの状態でいけば」とは?

このままの状態でいけば、というのは文字通りのことですが、今のこの現状のままいけば、という意味です。

では現状とはどういう状態なのか、これをしっかり見る必要があります。

2023年現在の運送業
  • 拘束時間が1日15時間を超える運行になりがち
  • 多重下請構造
  • 提供するサービスと対価が見合っていない
  • 稼ぐためにはトラックを止めさせられない
  • ドライバーの高齢化

まず、2024年問題は「働き方改革」が大前提です。

2024年問題でよく取り上げられるのがドライバーさんたちの拘束時間な訳ですが、この拘束時間を

月274時間以内にしなきゃいけないのが2024年問題の1つの課題です。

これだと1ヶ月あたり22日稼働した場合、1日平均12時間以内の運行にしなければならないという計算になります。

「なんだ、簡単じゃないか」

と思われるでしょうがそれは現場では通用しません。

なぜか。現場では水のように流れが急に変わるからです。

荷待ち、高速渋滞、自主荷役で作業時間や運転時間が一気に長くなったり短くなったりします。

だから運送業は「水物」と呼ばれることが多いです。長距離運行であれば特に道路状況に左右されることが多くなり、事故渋滞や工事渋滞、大型連休の際の渋滞などで到着や出発が遅れることになればその時間が拘束時間に加算されます。

そうすれば会社としては月274時間を守らせるために別の日をお休みにして拘束時間を守らせようとしますよね。

すると今まで月に10回は大阪から東京に行けたトラックが6回ほどしか行けなくなります。

こういう試算の元、荷物を運ぶ台数が減るんです!だから運べないんです!

という結論を出して記事が書かれることが非常に多いのではないかと思います。

でも果たして本当にそうなのか。

トラックが荷物を積んで走るまでの経緯

先ほど挙げた「現在の運送業」の1つに多重下請構造がありましたよね。

トラックに荷物を積んでもらって運ぶまでにこの運送業ではたくさんの人や会社が関わります。

BtoB輸送でスポット輸送の場合、フローはこんな感じ。

トラックが荷物を運ぶまでの間にこんなにたくさんの人や会社が関わります。

閑散期であればすぐに見つかるトラックも繁忙期になれば探しても探しても見つかりません。

お客様の荷物を出荷させるために「なんとかしてトラックを見つけよう!」という配車係の使命感はこのプロセスで生まれます。私もそうです。

なので繁忙期になるといつも以上にたくさんの会社に「トラックいませんか?」「⚪︎⚪︎から△まで走れるトラック探してます!」と電話をかけることになり、結果実運送の会社さんまでに何社も間に入ることになる場合があります。

しかし、

間に何社も関わる=お金が発生している、ということでもあります。

❺の実際運送するトラックの会社には❸や❹で手数料が抜かれた運賃のみ支払われる構図です。これが現在の運送業のビジネスモデルです。

つまり、このパターンの場合❺の実運送業者がもらう運賃は❶のお客様が支払う運賃から大幅に値引きされている運賃であり、

現在言われている「モノが運べない」というのは

現在の運賃で仕事を受けてくれる運送会社が少なくなりますよ、走れるトラックが少なくなりますよ、ということだと思っています。

実運送業者以外の会社はトラックを持っていない、もしくは持っていても依頼を受けられない会社です。

トラックを運行させず(または持たず)営業する会社を運送業では「利用運送」、俗語だと「水屋」と呼びます。

なぜ、トラックもないのに運送業ができるのかというと法律で「トラックを持っていない会社でも運送業はできますよ」と定めれているからです。(このあたりの話はまた後日)

道路を見ればたくさんのトラックが走っています。

トラックはほぼ会社に属している車両です。トラックが走る範囲(距離、場所)はすべて会社の意向に沿って決められます。

もちろん、どこでも行けます!という運送会社もありますが、関西から関東に行く荷物がある。ならまずここに電話して聞いてみよう、と各配車係たちは経験と実績から荷物の行き先によって依頼する会社を頭に浮かばせます。

関東行きならA社、九州行きならB社という風に運送会社の中でも得意にするエリアが分かれているのです。

つまり、自社トラックでは行かないエリアや距離は別の会社に依頼するのが現在の運送業のビジネスモデルとなっています。

横のつながりが強いと言われる理由もこういう商取引から生まれてきたんだろうなと推測できます。

トラックが足りない=モノが運べない?

運送業以外の方がここまで読むと思われるでしょうね。

「なんで自分らのトラックで運ばへんの?」と。

理由は様々ですが一番はリスクヘッジ。

自社のトラックを走らせることで負うリスクよりも別の運送会社に走ってもらう方がいいと考える人が多いからです。

そして長距離運行が稼げなくなっているという現実があります。それは先ほどお伝えしたように実運送まで沢山の会社が入り込んでいるから。

車庫から近い場所で積みおろしを何度もした方が運賃もその分もらえるし利益率が高いです。

長距離運行をさせれば積んだ荷物と下ろした場所から車庫までの復路の運賃の2回しかもらえません。

「地場仕事をしている方が儲かる」という配車係もいます。

それくらい長距離運行はハイリスクローリターンになってしまっているのが現状。前述したように多重下請構造により実運送会社が受け取れる運賃は本来享受すべき運賃から大幅に下回る額になっているのが大きな原因です。

配車係の仕事が2024年問題に大きく関わる

メディアや世間に向け運賃の件をしっかり話す運送業の人たちは実運送をしている方ばかりで元請事業者や間に入る利用運送事業者は表に出しませんでした。だって自分たちは依頼するだけだから。自分たちの利益は残しているからです。

そして何より私が元請、利用運送の場所で仕事をしているからよくわかります。ズルい場所にいるのが私です。それを理解した上で話を進めさせていただきます。

だからこそ、実運送会社さんに支払う金額をしっかり決めて適正な運賃でお仕事をお願いしなければいけないと思っています。

実運送会社の社長さんや配車係からよく聞くのは「運賃が合わない」ということ。であれば元請の私はいくらあれば適正に近づけるのかを考える必要があってその金額をお客様へ交渉する必要があります。

長距離運行だけでなく運送業の最大の利益獲得方法は「運賃」です。だからこそ運賃をしっかりお支払いすることで実運送会社の力を付けることが最も大事だと私は考えています。

原価に合わない仕事はお断りします。元請の時点でその金額は原価割れを起こしていますよ、とお伝えし、「今現在この運賃ではトラックを走らせられない」ことをお客様に伝えることも仕事だと思っているからです。運送業側の実態を知らないのであれば伝えることも仕事だからです。

提示した運賃が高い、安いというのは各担当者の経験と勘から来ている、みたいな記事もありましたがそれだけで仕事をしていたらたちまち成り立たなくなります。経験や勘ももちろん大事ですが根拠となる数字の把握はしっかりしています。その1つが原価です。

ですが今、この交渉をしない配車係が増えているのも事実。

電話で依頼された仕事に疑問を持たず右から左へ流すだけを仕事にしている人たちが存在してしまうことで言われた運賃でしか仕事を回せない人が増えているのです。これが大問題。

先ほど、「ズルい場所にいる」と言いましたがこの仕事もなくてはならない場所でもあります。その仕事の一つがこの交渉です。

拘束時間を守るためにトラックを長距離運行させない日があっても、長距離運行が翌日到着じゃなく翌々日到着になっても適正な運賃を支払うことを我々元請の配車担当がしっかり理解してお客様にお伝えすることが何よりも大事だと思って私は仕事をしています。

なので、モノが届かないのではなく配車担当者がしっかりと適正運賃をお客様からもらえる交渉を行い、実運送会社が潤う仕組みを作ればモノは届きます。

拘束時間を守って今までは翌日到着だった荷物を翌々日到着にして緩やかな運行にしても今までと同じもしくは今まで以上にお給料がもらえる環境をまずは作ることが「働き方」改革なんじゃないだろうかと思わずにはいられないのです。

なぜ人は仕事をするのか

なぜ仕事をしているのか。

それはお給料をたくさんもらうためです。たくさん稼いで好きなことを楽しむためです。

休みをもらうために働いているわけではないのです。働き方改革では「少しでも多く休めるように」という前提のもとルールが作られていますが本当にそれが正解なのでしょうか。なんだか本末転倒のような気がします。

本当にこのまま働くことから見出す意義や生きがいを搾取してもいいのでしょうか。

私はそんなことは望まないしこれからも働くことで誰かの役に立ちたいと思っています。だけど国のえらい人たちが「あんまり働いちゃだめ!休んで!」というルールを作られたわけですからそれには従わざるを得ない。でもお給料はちゃんと欲しい。

矛盾しているように見えるかもしれませんが「少ない労働で大きな収入を得る」ことは効率が良いとされるのでしょうね。それが適切に適応される仕事であれば。

ですが運送業は「労働集約型」(事業活動の主要な部分を人間の労働力に頼っており、売上高に対する人件費の比率が高い産業のこと)の典型。つまり、仕事をする上で労働力に対する依存度が高い産業です。

労働集約型産業で利益を上げるためには労働力の「数」が必要です。運送業でいう労働力の数とはつまり有人トラックの数です。もともとから少ない労働で大きな収入を得られる土壌ではないのです。現在の働き方改革は運送業に適応しづらい枠組みだよね、と思わずにはいられません。

「モノが届かない」という報道は問題の本質を見失っている気がしています。

本当の問題は「モノが届かない」のでなくて運送業の本質的な改善を議論できていないことだと思うのです。

本質的な改善とは何か。

そのヒントを解く鍵は「運送会社に不足しているモノは何か」の答えの中にあると思っています。

それはまた次のブログで。長々とお付き合いいただきありがとうございました。

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