運送業はどうして足並みがそろわないのか問題

2024年問題

運送業の業界紙を読んでいて感じる事。

新しいデジタルツールやトラックの導入、女性雇用促進や運送会社ごとの地域イベント開催や参加など明るい話題が沢山で「おお!運送会社って色々やってるんだなぁ。すごいなぁ」と思わせてくれるのに現実は何も変わっていないということ。

私は体感する運送業の温度や雰囲気と業界紙の温度や雰囲気には差を感じています。

それはどうしてか。

運送業よくなったよね!という体感がない。

こんなこと言うと元も子もないのですが実際運送業の中で働く私としては体感として

「運送業すごくよくなった!稼げる!」

という体感がないということです。どこを見ても「運賃が安い」「荷物が少ない」という声が上がっています。

SNSでもドライバーさんの愚痴、たまに経営者さんも愚痴を吐き出すときがあります。もちろん私も「おかしいやん」と思うことをSNSで発言することもあります。

発信するすべてが「ヒト」や「カネ」にかかわることです。そしてこういう問題はほとんどの場合相手がいます。運送業であればお客様(荷主・元請け)です。そして自社のドライバーさんだったり経営者がその相手になる場合もあります。

基本的に運送業は「ヒト」の産業なので「カネ」の問題でも結論を出してみたら「ヒト」の問題だったということも実体験として沢山経験しています。

なのでDX!新システム導入!と嬉々として記事が上がっていますが申し訳ないけれどそれで課題を解決できるとは到底思いません。

DXや新しいシステムを開発されている方は自社の商品やサービスを売り込む場所が運送業だったというだけ。本当に解決してほしい課題はDXでも新しいシステムでも解決はできないと思っています。

積載効率を上げられるようになりました!とか効率のいい運行を!というサービスや商品はごまんとあるんですが正直言ってそれはこちらからお願いして作られたものなのかかな、と疑問ばかり浮かんできます。運送業が本当に困っていることが解決されない以上、新しい商品を導入しても生かせられないと思うのです。すごく勿体無い。

運送業の足並みがそろわない謎

会合やオンライン会議で配車マンや経営者の方とお話させてもらうと「この業界ってほんとに足並みが揃わないんだよね」という話題になります。運賃交渉にしろ、燃料費や高速利用の国への届出など本当に足並みが揃わないからまとまった意見が出せないし一緒に何かを成し遂げることができない。とぼやく方が多いです。

それはどうしてか。私もいろんな方の話を聞いて考えました。

そして仮説を立ててみました。

仮説①集団行動のノウハウがないのではないか

トラックドライバーさんはじめ、運送業は個人で完結できる仕事が圧倒的に多いです。チームプレーの引越しもありますが一般貨物の場合、積んで下ろしてという一連の作業はほぼ個人プレーになります。

そして配車も同じ。誰かと協力して1つの仕事を成し遂げる、よりも自分で探して探して探しまくってトラックや荷物を見つける。社内の誰かと一緒に一つの仕事を達成させるよりも基本的に個人でやる。できてしまう。これが運送業の土台なのです。

このような土台があるからなのか、全員作業で何かに立ち向かおう!というノウハウが浸透していないのではないかなと思います。

仮説②求心力のあるリーダーまたは組織が欠如しているのではないか

集団で何かをやろう!とする場合、リーダーが必要になると思っているのですが運送業にはこのリーダーが長い間不在なんじゃないかなと思うことが多々あります。

体制的に言えば「全日本トラック協会」がリーダーであり求心力のある組織なんでしょうがどうにもこうにも評判がよろしくないのが実態です。

でも、ここで勘違いしないでほしいのはトラック協会というのは運送会社の経営者の有志が集まって活動をしている団体であり、評判がよくないのは一部の方へだけということです。

協会に参加されている経営者さんたちは自分たちの会社の業務の合間を見つけて活動されています。配車もして会社の運営もしながら協会の活動に参加しているのです。

せっかくなのでここで少し全日本トラック協会の歴史を見てみましょう。

全日本トラック協会が出来たのは1948年。(都道府県別のトラック協会はそれ以前からあったところもあります)東京ブキウギが大流行したり東条英機が東京裁判で有罪判決を受けて死刑になった年。そして郵便料金や鉄道の値段が倍々で上がった戦後の景気高騰の時代でもありました。地元話で申し訳ないんですがこの年は福井大地震があった年でもあります。そういう見方をするとかなり大昔に出来上がった協会なんだなぁと実感します。

そしてこの1948年には戦時中に改正された「自動車交通事業法」が廃止され、戦後の自動車運送事業の民主化をはかるために「道路運送法」が施行されました。

この法律によって自動車運送事業の免許基準が規定され、運送会社は運送約款や運賃などの認可を受けようやく営業できるようになりました。1948年はいわば運送業の民主化の始まりの年ですね。

そういった時代背景から見えるのがいわゆる「イケイケ」の運送会社の社長さんたち。一儲けしようぜ!と運送業を立ち上げる方が増えたんだろうなぁと想像できます。

そして、有志たちがトラック協会を作って各都道府県の運送会社をまとめ、自分たちが表立ってお客様と交渉していこう!と活動されました。

なんたってまだまだ認可制ですから運送会社の数が限られていますしまとまりやすい環境だったのでしょう。

ですが1990年の物流2法で規制が緩和され、たくさんの運送会社が乱立します。このころから全体交渉よりも業界内での同業者による価格競争が激しくなっていきます。

こういった背景をみるとトラック協会への求心力は1990年以降薄れていったのではないか、と思うのです。いわば、戦後からの脱却が運送業でも起こり、新しい時代の始まりになったのもこのころではないかと思います。協会に頼らず自分たちでやるほうが早いし儲かる、と思う経営者がいてもおかしくないだろうな、と。

期待をしなくなる、というのは要望を伝えても変えてくれない変えようとしてくれないことから生まれます。つまり、運送会社が多くなればなるほど要望も増えてくるのに対応する力がなかった、もしくは対応しなかったのかもしれません。

そういった過去があるので現在も「言ったってなにも変わらわない」という業界の声が消えない。本来であれば業界のトップとなって活躍してほしい組織なだけに残念でなりません。

業界全体の足並みを揃えて交渉をしたい

2024年にむけ、運送会社はお客様へ交渉を行っています。ですがその交渉で言われることはどこもほぼ一緒です。

「お宅だけやで、そんなこと言ってくるの」

「他の会社は今まで通りでやれるって言うてるで」

「じゃ違う会社使うわ」

お客様の交渉術なのかもしれませんが、実際に運送業側に「この業界は抜け駆けが多いからあながち嘘じゃないかもしれない」と思わせるには十分のセリフなのです。

それだけ業界がまとまっていない。

横の繋がりは強いという割に疑心暗鬼になる会社さんもあります。他社に抜け駆けされた、運賃下げて営業されたなど行儀の悪い会社があることも事実なので理解できます。だからこそ、何かを求心力として業界がまとまり、お互いに本当の信頼関係を結びたいのです。

お客様に何を言われても「私たちの業界で今そんなことをする会社はない」と強い気持ちで回答できるように。

これから来年に向けて「自分だけがいい」という価値観より全体で良くして行こうとする機運が高まるようお客様への交渉以上に業界内部での団結力を高めていきたいです。

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